第5回実行委員会

第5回実行委員会

2014年2月14日

第5回実行委員会、今年度最後の実行委員会です。
定例の各委員からの活動報告、新旧委員の引き継ぎや連絡事項について話あいました。
最後に参加者一人一人が今年一年を振り返っての感想を述べました。

私が今年一年を振り返っての感想をここで述べさせてもらいます。
新聞やテレビなどのマスコミの話では教育委員会や教師、学校に対してチェックの意味があるのでしょうが、あまりにも偏った酷い話ばかりを伝えてると思います。そんな話ばかり聞いていると当然、学校や先生方にいい印象を持つ事もないですね。
そんな話ばかり拾ってる保護者からしたら学校はまる伏魔殿のように思えるでしょう。
また、何でもかんでも学校の責任という人もいます。
先日、公民館でもある会合で参加者の一人が校長先生にいいました。
「最近の子どもはの交通マナーがなってない学校は何をしてるんや?しっかり教えてくれな困る」、言われた校長先生は黙ってなくて「何でもかんでも学校というのではなく家庭でもやってください。教育は家庭と学校、そして地域みんなでするものです」と返すと「何を言ってる学校な…」となったので私も加勢しました。

実はこの「最近の子どもの○○がなってない、学校は何をしてるんや?しっかり教えてくれな困る」というフレーズ、よく耳にします。そればかりではありません、まるで学校を何かのお店と勘違いしてる保護者も見受けられます。

先週だったかFacebookやTwitterで”盛り上がった”ツイートがありました。
何かと言うと学校の給食に出てくる牛乳、この牛乳を自分の子どもには飲ませていない。飲ませないために学校と戦ってるみたいなブログ記事についてです。
そのブログには延々と「給食で牛乳を飲ませる事に科学的な根拠がない事」や「ご飯と牛乳は合わない」、はては「牛乳は放射能汚染の問題が深刻」、「酪農業界保護の為に牛乳を出してる」、「牛乳に手を出すと間違いなく圧力がかかって、」など。
ここまでいけばなんの根拠のない思い込みの世界。
よくいう”見えない力”的なロジックです。
この記事に対して同調する意見もありますが大半が批判的なコメント。
どういう事かというと、このブログの主の思考から一番抜け落ちてるのが「学校は公共の教育の場」だと言う事です。
子ども達は小さい頃から数のすくない顔見知りのコミュニティで、社会にでる準備として公共の場での人との関わりからルール・マナーを覚えて行くのです。
牛乳を子ども達に飲ます事に意味があるか以前に、そもそも学校というのは個人の自由や選択の自由より、学校は協調性や社会性などの、社会との関わり方を学ぶ場所で、自由云々は別な話。
それに選択の自由が加わると、学校給食の意味が無くなります。それに対して「子供達以上に騒ぎ出す親は周りの人達と共存出来るのかなぁ?」、「そして、その子どもは?」等の意見が多数ありました。

そして、教育委員会。
「頭にきたから教育委員会に電話したった!」、教育委員会をまるで学校へのキラーアプリケーションと勘違いして恫喝の道具と考えてる保護者。
これらの人はあくまで一部の”限られた保護者だ”と思います、またそう信じたい。
この”限られた保護者”に言いたいのは育友会に関わってみては?と言うこと。

学校の先生方が我が子のためにどれだけ向き合ってくれているか。

 

だいぶと話がそれたのでこ、こで戻してこの1年の感想です。
私は子どもが低学年の頃からパパーズに加わりこの1年は育友会の会長として子どもの成長に関わりました。
育友会会長として活動して感じたことが上の緑の見出し、朝早くから夜遅くまで学校はまるで不夜城です。
先生方は日々、誠心・誠意で子ども達に向き合い見守ってくださっています。保護者として感謝の気持ちでいっぱいです。
そして育友会の良き仲間に巡り会えたこと。
特に 40周年の記念の年に通常の事業に加えさらに沢山の記念事業がありました。この沢山の記念事業や活動を支えてくれたのが竹内さんはじめ女性役員と男性役員、各委員の皆さんです。
こんな事をいうと叱られますが、皆さんのお陰で私はこの一年、育友会を元気いっぱい楽しみました。
また、子どもの家庭と学校での姿の違うこと。
これは笑えるほど違ってて、彼も大変なんだな?というのがよくわかりました。
何より学校の子ども達の大切な成長の手助けがでいたと自負しています。

私はWDFというNPOの代表理事をやっていて若い人と話をする機会多く、会長になってからは育友会の話題が”鉄板ネタ”になってます。
会長を退いたこれからは学校の先生方や育友会の良き伝道師になります。

 

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