全国子ども見守りボランティア協議会

その日は「ただいま」が聞けなかった。

2013年11月23日

金沢市文化ホールで開催された全国子ども見守りボランティア協議会に行ってきました。
覚えていますか?大阪教育大学附属池田小事件。
2001年6月8日、大阪教育大学附属池田小学校に凶器を持った男が侵入し、児童を次々と襲撃し、1年生1名、2年生7名が殺害された事。
当時うちの長男は3つ、もうすぐ幼稚園を楽しみにしている可愛いさかり、なぜこんな小さな子を。私も翌日の朝刊を見てて涙がもみあげて来たのをきたのを今もはっきり覚えてます。
この事件に衝撃を2日後に孫が通う幼稚園の通園路にたち立ったのが平寿彦(ことひこ)さん(電器店経営の66歳)。その後、近所の知人ら6人と「キッズレスキュー隊」を結成し、10月には金沢市立大浦小の「スクールサポート隊」を作り、通学路の見回りから学校内の常駐や警戒まで、いざという時に子供たちを守るための取り組みを始めました。
この取り組みが全国運動に広まり、現在では全国で300万(金沢では6700名)名余りの方が地域で子供の保護などを行う自主防犯活動に参加するようになったそうです。
また、この活動は国内だけではなく海外からも注目を集め、昨年ギネスに申請し総理大臣賞を受賞するまでになりました。

以外と知られてないのですが「子ども見守りボランティア活動」の発祥の地はここ金沢なんです、育友会としては是非知っておいて欲しいですね。伏見台小学校でも地域のスクールサポート隊ぼ皆さんにお世話になってるんですから。
ちなみに伏見台校下のスクールサポート隊は2003年に結成され、7月7日から活動しています。
毎朝見守りをしてくれてる「スクールサポート隊」の皆さんにあったら挨拶しましょう、親として感謝の気持ちを込めて。

話がそれたので協議会に戻します。
集会の前に「全国子ども見守りボランティア協議会」の設立総会がありました。総会には25都府県から約300人が参加。協議会の初代会長には平さんが選ばれ、今後は3年ごとに全国集会を行い、定期的に研修会を開いて各地の取り組みを紹介するといった活動方針を決め、次回の開催予定地は大阪府とすることも決まりました。

平さんの開催の挨拶、「本来ならスーツ姿で挨拶すべきですが一緒にがんばってきた仲間の事を考えるとユニフォームで挨拶するのがスジ。ですからご容赦ください…、今から12年前、事件の2日後に孫を守ろうと結成しましました。私たちはこの活動を、これまであの世の貯金と思いがんばってきた。今日はあの世に行った6名の写真を胸にこの場に立ってます」、じ〜んときました。そらそうですよね、生半可な気持ちで12年も続きませんよ。そして「今まではお金がなく辛い思いもしました。これからは全国組織として堂々と活動していきます。」ホント、ご苦労されたんでしょうね。子ども達を守る事が「世の貯金」って聞いていて感謝の気持ちいっぱいで涙腺がやばくなってきましたよ。

続いて基調講演、最愛の娘をあの事件で亡くした酒井 肇さん「わが家にとっての、あの日。2001年6月8日」、「親を亡くした子どもを孤児という、伴侶を亡くした夫を寡夫、妻を寡婦という。子どもを亡くした親を呼ぶ言葉はない、その痛みは言葉で表すことが出来ないからだ」2004年9月、ニューヨーク市の「9・11」同時テロ追悼式でのブルーム市長が述べた追悼の辞の1節からはじまります。
麻希ちゃんがなぜ死ななくてはいけなかったのか、どうやって死を受け止める事ができたのか。そして立ち直れたのは大きな傷を負っても少しでも前に進もうとした、生きようとした事が分かったからだと。DNA鑑定でその事実を知るんです。朝、元気に「行ってきます」、午後に元気に「ただいま」で帰ってくる。その日は「ただいま」が聞けなかった。想像してみて下さい、これってすごい事ですよ。受け止めれます?
最後に、「起きた事件や、子ども達の死は私たち遺族だけのものではありません。それを知る全ての人々が、それをどう受け止め、何をするかによって、その意味は」違ってくる」。

平さんは2005年2月に初めて池田小を訪れ、犠牲の8人の子どもたちのために八つの天使の鐘をついたそうです。そして酒井さんら遺族に「必ずこの活動を全国に広め、組織を作る」と約束したことでスイッチが入り、各地の団体に協議会への参加を呼びかけ、設立準備に動き今日の設立の日を迎えました。平さんは「ここからが本当のスタート。この動きをさらに広めたい」と気を引き締めていました。

 

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